大阪家庭裁判所 昭和40年(少)6551号 決定 1966年4月13日
少年 D・K(昭二三・三・三一生)
主文
少年を大阪保護観察所の保護観察に付する。
理由
(非行事実)
少年は兄からカメラの返還を催促され、そのカメラを質入れしていたところからその質受け資金に窮し、自動車強盗を敢行することを企て、昭和四〇年六月○日午後一〇時一〇分頃、大阪市東成区○○○×丁目○○番地先路上において、○島○夫(四一歳)が運転する個人タクシーに乗車し、同日午後一〇時三〇分頃、同市旭区○○町○○○番地先路上に差しかかつた際、○島○夫に対し「金を出せ」と申し向け所携の刺身庖丁を同人の背後から左肩の所に突きつけ脅迫したが、同人が車外に逃げ出し「強盗、強盗」と騒いだため、同人の反抗抑圧状態下に乗車料金三一〇円の支払を免れもつて財産上不法の利得を得たのみで、逃走したが附近の人の協力で警察官に逮捕されたものである。その際、同人に約五日間の加療を要する左前腕左示指挫創兼打撲傷の傷害を与えたものである。
(適用法条)
刑法二四〇条前段
(少年の生活史)
少年は父D・Z(五九歳)母D・Y子の二男(姉三人)として昭和二三年三月三一日現住所地で出生し、昭和二七年一〇月祖母が死亡するまで主として祖母に溺愛的に養育された。昭和二九年四月小学校に入学する。兄(昭和一六年一〇月一九日生)との喧嘩に勝つこと多く、皆よりしつかり者、将来大物になると言われた。父母は少年に対し放任的で少年を甘やかす。小学校の学校照会によれば、少年は高学年では責任感あり(A)、短気なところがあり交友には活動のはげしい友達が多かつたし(悪い仲間ではない)、義侠心に富み他人から頼まれれば「いや」と言えないものをもつていたとされる。中学校の学校照会によれば、一学年は責任感あり(A)、二学年は(B)、三学年は(C)とだんだん責任感が失くなつている。自主性も一学年は(A)、二学年、三学年は(B)と悪くなつている。友人も年上の者が多くなり、三学年では怠学、粗暴行為が多くなつているとされている。中学生時代学校外では義兄○口○○郎(暴力団員)の影響を受ける。実母D・Y子は昭和三三年一二月死亡した。昭和三六年一一月父が継母S子と再婚する。この再婚は姉、兄も反対したもので、兄は一時家を出ていた。少年も継母に反感をいだく。この頃少年は家の金を持ち出したり、自転車盗をやる。昭和三七年三月遺失物横領、恐喝で同年九月二五日審判不開始処分となる。(時計を拾いその修理費欲しさに恐喝したもの)昭和三八年三月中学校を卒業する。同年四月~七月まで○○電気(仕事がいやになり退職)、同月~九月まで○○○氷店(暇になり退職)、同月~一〇月まで○○製作所(長姉の所、義兄より意に反した叱責を受け退職)、同月~昭和三九年四月まで○○ガラス店(○○製作所経営義兄に連れ戻されたので退職)、同月~六月まで○○製作所(給料遅配のため立腹し退職)、七月~九月まで○○○氷店(季節がはずれたので退職)に各就職し、同月から本件当時まで○○製菓所に住込みで勤める。その間昭和三九年七月軽三輪自動車無免許運転により同年一〇月集団不処分となる。○○製菓では仕事は真面目であつたが、浪費、夜遊びが多かつた。現在父は従来の農地を売却し、アパートを建ててその収入で生活している。月収七万円位。
(本件非行の動機)
中学時代よりの友人○本○雄(暴力団関係)から借金を申込まれ義侠心(あるいは友人に悪く思われたくないという気持)より断り切れず、兄のカメラを無断で二万〇、〇〇〇円で入質し、一万〇、〇〇〇円を○本に貸したところ、兄からカメラの返還を催促され、友人に貸したと嘘をついたが、再三の返還要求に困り、持ち前の負けず嫌いより入質したとはいえず、自暴自棄となり、住込先の○○製菓所の刺身庖丁を持ち出し、初めは通行人から恐喝するつもりだつたが、対象者が見つからず、通りかかつたタクシーに思い切つて乗り自動車強盗をすることを思いついたもの。
(本件非行の態様)
少年はタクシーに乗つたものの、実際に自動車強盗をする決心はつきかね、駄目な時はタクシー代を払えばよいということも考えた(少年は本件当時七、〇〇〇円位所持していた)。丁度タクシーが人通りの少ないところに来たので、恐しさを押え思いきつて運転手の後から自分の腹のところにさして隠し持つていた刺身庖丁を突きつけ金を要求したが、運転手が「強盗だ」と叫んで暴れたため、自分もびつくりして車から逃げ出した。タクシーを逃げ出し、他の通りかかつたタクシーに乗つたが、被害者の運転手の「強盗だ」という知らせでそのタクシーの中に閉じ込められて捕つた。その時刺身庖丁は持つていたが逃げるためにその刺身庖丁を振り廻すということもせず、恐しさのあまり車の中にうずくまつていた。被害者の運転手が来ると現金を手に持つて手を合せ金を支払うから許してくれという態度をとつている。少年は自動車強盗をするに際し、相手がすぐに金を出さなかつたらどうするか、自動車強盗によつてカメラを質受けする金が取れるかどうかということは事前に考えず、又相手が金を出さない時も刺身庖丁で相手を傷つけることは考えなかつたと述べている。だから相手に騒がれたらすぐに逃げ出したとも言える。運転手の傷は挫創兼打撲傷であり、刺身庖丁の血液鑑定結果によるも人血付着の結果は得られておらず、前記傷の具合からみたら運転手が車から逃げ出す際に車のドアー等で怪俄をした可能性が強く、このことは少年が相手を傷つけることは考えなかつたということを客観的にも裏づけるものと言える。傷の程度も運転手が怪俄していることを自分で気づかなかつたほどのものである。
(少年の性格、生活態度、思考傾向、非行危険性)
少年の供述の一部を摘記すると、検察官に、壊われたメガネや運転手の手の傷の治療費、タクシー代をどうするかと言われ「そんなものを払わなければならないか。」と答え、調査官に対しては、「実父とは口を聞かない。実母がいる時は良かつた。私がアルバイ卜をした金で洋服を買つた時、父は、それ何処で盗んで来たか、と言つた。早くえらくなつて父を見かえしてやりたい。弁護士さんをつけることによりもし処分が軽くなるようなことになれば、父は世間体の為にそうするのでしようが、私に……してやつたと思うに違いない。それが私にとつて一番厭なことです。継母が来てから家の中は暗くなつた。当初一〇〇Wとすれば実母が死亡して六〇W、更に継母により四〇Wになつた。私は継母がいる家に一時間たりとも一緒にいるのは厭です。継母は私が誰れもいない時よく話をする、よく手伝いをしてくれると言つているそうですが、どうして私がそんなことをする必要があるのですか、絶対にそのようなことはないし、仕事をするのは自分が気が向き、したいからで継母のためではありません。家に帰るのは絶対に厭です。ヤクザについては今は良く知つているので入りたいと思いません。今の時勢ではとても生活していけないこと、上の者の言うことに文句を言わず、どんなことでも従わねばならぬ事等が理由です。しかし、私はその人達と交際しないつもりはなく、良い人であれば、ドロボーであろうとヤクザであろうと関係のないことで交際します。私は働かねばならぬという気持は生活していけぬからということから起つており、もし働かずとも生活していけるなら毎日でも女の子と遊び暮したいと思つています。私は働くことによつて得た収入は月二万〇、〇〇〇円でしたが、貯金等せず、スケー卜、バー、喫茶店での遊興費に全部使つていました。それでも足りぬ時は月給の前借りや兄弟親類のところより借金をしていました。実兄D・Hは無口、内気でおとなしく、私がいつも兄として一応たてているため、争いはないがなんとなく厭な存在です。私は絶対骨抜きのようになりたくありません。私は小さい頃よりしつかりしていたということで将来は大物になるだろうと言われていました。厭なことは絶対にしないが、もしなる程と思うことがあればどんなことがあつてもそれを実行する、そういう一本気なところがあります。私は恩きせがましく言われるのが一番嫌いですので、全く独立して生活等も営みたいと思います。」と答え、審判廷において裁判官には「目上の人の言うこと、委託先の農家の人がやることには従います。郷に入れば郷に従えという諺があります。」と答えている。
以上の少年の供述、少年鑑別結果通知書、調査官の調査票、その他の参考書類より考えると、たしかに少年は過信的、虚勢を張り、自己本位、自省心なく、自分を見つめ自己を抑える努力に欠け、周囲への敵意が強く、不安な危険な事態に出会うとそれを解消することなく、ただカバーするために第二のより危険な事態を生じやすく、それが発展し、時に暴発につながる危険の強い少年と言えよう。しかし、この原因について見ると、少年自身の遺伝的素質もあろうが、実父が兄、姉の反対を押し切つて継母を家に入れたこと(少年が中学二年生の後期であり、この頃から少年には小さな非行が外部に現れている)、亡くなつた実母は終戦直後浮浪者や犯罪者を補導したりして、しつかり者という評判の高かつた人で少年の一〇歳の時に亡くなつたが、少年には周囲の人が亡実母を高く評価することの影響もあるのであろうが実母は立派な良い人だつた、それに反し継母は飲み屋出身の女で派手なばばあだというイメージが強く、実母への思慕が強い-このような家庭的原因、実父への不信が少年の人格形成ひいては本件非行の素地を作つていることは否定できない。鑑別結果通知書にも「義母の事に及ぶと感情の安定を全く失い、父に縁はあつても、自分に縁などないとつつぱねる。このことが少年の放縦に至つた全てとは考えないがそれが一要因であることは否定できない。まずやはり、心的支柱としての家庭への愛着を失つた事、それから派生した周囲への不信、怒りとしての八つ当り的な感情の昂ぶりに要約されるものと考えられるが、現在の荒みからは余程の指導のない限り危険の強い少年と考える。」と結んでいる。この家庭への愛着の喪失が、他の面で相手、事柄を選ばず、愛情、好意を自分に持つてくれる人が欲しいしそのような人を失いたくないという気持となり、本件非行の動機となつた友人○本の借金の申し込みを断われなかつたところにも現れているといえようそこで自分の能力以上のことをしてやり、その償いのために今度は他の人を傷つける。このような行為のアンバランスは人格形成途上にある少年の年齢における一般的な特徴的事象と言えるかも知れないが、少年の場合には家庭への愛着の喪失がこのことを更に強めている。
更に少年の非行危険性であるが、この危険性は少年の社会的偏倚性、自己顕示性、周囲に対する敵対心に根ざすものであろうが、一般の非行少年の持つ危険性とは、少年の供述内容、態度、性格より見て異なつたものが見られる。特に無気力な怠けよりの銭欲しさによるスリ、万引、空巣、恐喝、強盗等の常習者の危険性とは異なるし、いわゆる非行ずれしているというタイプではない。少年のこのような態度の裏には無理に強がりをし、背伸びしようとするところが窺え、愛情に飢えた反抗心がのぞいている。その危険性は虚勢による張り子の虎の危険性である(勿論このような虚勢が社会的に重大な結果を引き起すことは多い)。それとともに少年には危険を止める理性も見られる。すなわち、自動車強盗をする前も非常に迷つており、敢行後も運転手に騒わがれたら相手を刺したりすることなくすぐに逃げ出しているし少年は最初から相手を傷つける気持はなかつたと述べている。
(処遇意見)
自動車強盗は重罪である。その脅威は身体に危険を与えない単純なドロボーの比ではない。少年にその社会的責任を自覚させ、刑事責任をとらせることも、少年を社会の一員として更生させるために必要であるかも知れない。しかし本件非行の前記動機、態様、上記少年の家庭環境の少年に及ぼした影響、この時期に見られる倫理感、価値感の生成発展のきざしがかくと窺えず、いまだ自己中心の未熟に止まつている点(鑑別結果通知書)、刑事処分にした場合の法定刑の長期による少年への過酷さ等よりみて刑事責任を問うことは少年の更生には適切でない。
更に少年院における強制による矯正教育……専門家の指導による集団生活は、少年の対人的不調、自己中心的性格を矯正するには必要かつ効果的かも知れない。少年を限界まで追いおとし、反省させることも必要適切かも知れないが、前記少年の敵対心等性格を考えると反対に自己の殻に閉じ込もり、周囲の人々、社会を理解しようとしなくなる危険性を持つとともに少年の義侠心、愛情欲は少年院友達というものを作り、退院後非行グループを作り社会に反抗する虞れも強い。このような大人に反抗する、そして世間に対する反逆的態度の少年は周囲の者から恐れられ、嫌われて、叱責や罰を受ける機会が多くなり、そこで少年はいよいよひねくれてくることが考えられる。このことはアルバイトの金で洋服を買つたのに父に「何処で盗つて来たか」と言われたこと、義兄○田○博のところで働いていた時、義兄が従業員全員を非難するつもりで身内の少年を叱責し、そのため少年は退職したことにも窺える。このように少年の非行の背景に父への不信-家庭への愛着の喪失-世間への不信が考えられるとき、少年を家庭的愛情、温かさからは何と言つても遠い少年院に送致することは前記虞れとともに少年の家庭に対する理解を閉す結果になりかねない。現在の社会は家庭を単位として成立しており、家庭に対する愛着を失うことは致命的である。またかような非行(強盗)は「なおす」という方から見ると、かえつてこの方が単なるドロボーよりも、むしろ容易かも知れないし、少年の知能指数はIQ=一〇二であり、労働意欲(○○製菓所で働くまでは転々と職をかえているが、その間ブラブラ遊んでいたことはほとんどなく、仕事は積極的にやつている。ただ過信的で他人の指導を心よく受け入れない点があるのみ)、生活意欲は強い。少年が考えを改めれば立なおれる能力は充分にもつている。少年も本件非行により始めて少年鑑別所にも一カ月近く入所し、自分の行為の重大さに今さらながら驚いている(調査官、裁判官に対する陳述)。鑑別所の生活、審判により芽ばえて来た自省心、立ち直りを家庭的な温かい、静かな環境に少年を置くことにより、調査官の試験観察という、ゆるやかな強制を通じ自力で立ち直る道を見つけるようにした方が少年の将来のためには適切ではなかろうか。そして世間-大人の世界も少年が考えていたほど不信なものではなく少年がその気になれば温かく迎えてくれるものだ(決して少年に恩をきせるのでなく)と思うように。そのためには少年を少年院に送致することなく奈良の田舎の農家に試験観察として補導委託し、美しい静かな自然に接し、朝早く起き農作業をやり夜は早く寝るという規則正しい生活をすることが適切であろう(かなり力のいる農作業をすることは他方少年に対する自戒の意味もあろう)。少年審判が少年にその行為責任を問うことより少年が立ち直り誠実な社会の一員となることに重点をおき、その手段においてもなるべく強制的手段はとらずに少年が将来生活すべきこの社会において自ら立ち直ることを期待していることを考え少年法二五条一項、二項三号により奈良の農家に試験観察として補導委託することにした。
(試験観察の経過)
昭和四〇年七月八日奈良の農家に少年を委託する。委託先の家族構成は祖父母、息子夫婦、子供二人(中学生、小学生)であり、祖父は専門学校卒、息子は高校教諭である。田畑とともに茶畑があり、冬は炭焼きをする。この辺の農家は集団で少年の委託を引き受けているものであり、その中心として世話人がいる。少年の指導をその世話係の人に頼むとともに委託先の祖父、息子さんも教養ある人であるのでよく頼む。調査官、裁判官も委託期間中数度少年の生活観察に行く。最初少年は中学生の子の勉強の世話をしたりして兄弟のように接しようとし、気持よく家族の中に溶け込もうとする意欲は見られた。仕事の点は一人でやる場合少し怠けるところが見られたが熱心にやる。世話人の報告では根性はあるが周囲からもてはやされると自分の能力を過信するところがあるとのことであつた。九月の報告では、大分馴れたが、言葉使い少なく親しみにくい少年です。打ちとけて話をしない。自分を誇張する。油断出来ないとの印象を与えるとある。一一月になると相変らず大人びたところはあるが、前のようにキツと相手を見すえるような目付きはなくなりかなり落ちついてきた。一一月働き手であつた祖父が入院したことにより少年一人が働き手となつたので責任を感じよく働くようになる。昭和四一年二月の報告によると、現在の状態では手放しでもやつて行かれます。今後保護者の許へ帰つた時適当な監督指導者が大切です。最初委託当時より見るといろいろの点で進歩していますとされている。少年は田舎の純朴な逆らわない環境におけるものであるが、心の安定、ゆとりを持ち始め、忍耐強くじつくりと生活するようになつてきた。非行危険性は現在では著しく減少している。この間調査官は主として家庭の調整、父親の積極的指導心を促すように努力する。委託後既に八カ月になり少年の敵対心、自己顕示心、自信過剰も少しづつやわらぎ、妥協、協調心、自省心もかなり出てきたので、少年の帰住地の都会生活に慣れさせる意味で義兄○田○博の製作所で少年を働かせることにして、昭和四一年三月一七日在宅試験観察に切替える。その後の観察によると、仕事は良くしているが服装等に自己顕示性がやはり見えるし、無駄使いが少しあるようである。しかし委託先の人に対する素直な感謝の意を抱くようになつている。
(最終処遇意見)
現在一応仕事にもスムーズに入つている。家庭内の問題はやはりまだ残つているが、特に不適応状況はない。今後保護司の家庭生活に密着した指導援助により長期にわたり解決していくような処遇が望しいと考えるので少年法二四条一項一号により主文のとおり決定する。
(裁判官 上野至)